与えて(親切にして)いるのに返ってこない……。
「ギブアンドテイク」「情けは人の為ならず(※1)」
(※1:人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる)
こんな言葉を子供の頃から聞かされて、それを守って与えているのに対人関係が思い通りにいかないことってありますよね。
あいつは、どれだけ与えても返してくれない……、もう疲れた。
あいつは、もしかしたら性格が悪いんじゃないか……、もう嫌いだ。
そんな悶々とした気持ちになることもあるかと思います。
そもそも、本来は与えたら返ってくるものです。
その考えは間違ってはいません。例えば……。
- 話を聞いて欲しいなら、自分が話を聞く。
- 信頼して欲しいなら、自分が信頼する。
- 優しくしてほしいなら、自分が優しくする。
- 手を差し伸べてほしいなら、自分が手を差し伸べる。
- 笑顔になってほしいなら、自分が笑顔になる。
- 愛されたいなら、自分が愛す。
このように、本来は人間関係は与えれば与えられるものです。
なかには、与えもしないのに相手が与えてくれないと言う人もいますが、自分が与えもしないのに相手が与えてくれることを期待してはいけません。
そんな存在がいるとすれば、おそらくそれは自分の親だけでしょう。
親の無償の愛は、それだけ特別なものです。
では、なぜ与えても返してくれない人がいるのでしょうか?
それには、様々な理由があると思います。
ですが、その多くは、相手の心が満たされていない(相手のために何かできる余裕がない)ためではないでしょうか。
それは、どういうことかというと……。
人は、心が満たされ、余裕があれば、与えられたことに感謝して相手にも与えてあげたいと思うはずです。
しかし、心が満たされず、余裕もなければ、感謝していたとしても相手にその気持ちを上手に返すことができないということです。
ですから、与えても返ってこないことに対し、すぐに怒りを感じてはいけません。
もしかしたら「今は心が満たされず余裕がないのかもしれない」と相手の気持ちを汲んであげてください。
与えても返してくれない人との付き合い方
では、そのような人たちとは、どう付き合ったらいいのでしょうか?
距離をおいて付き合わないことができれば簡単ですが、しがらみのある職場やコミュニティではそうはいきませんよね……。
どうしても良好な関係を築きたいのであれば、親のように見返りを求めず与え続けて、相手の心が満たされる時のを待つのです。
ですが、親でもないのに、そんなことはできないですよね……。
与え続けたとしても、相手の心が満たされるまでにかなり時間がかかるでしょうし、満たされないまま関係が途絶えてしまうこともあるでしょう。
付き合い方の前提を変えてみる
そこで重要な考え方になるのが、そもそも「与えたら返してもらえることを前提に人間関係を構築することは健全ではない」と気がつくことです。
実は、はじめから相手に見返りを求めないと考えた方が気持ちが楽になれるのです。
見返りを求めていると、返ってこないときに自分の心が苦しくなり、結果として相手との関係を悪化させることになるからです。
自分を褒められるようになる
本来、与える目的は見返りではなく、自分が与えたいという親切心や真心であるはずです。
それなのに、「与えたら返してもらえるものだ」という常識に近い暗黙のルールがあることで、いつからか与えてくれない相手にストレスを感じるようになってしまったのです。
そうは言っても、返してくれない人と良好な関係を築くことは難しいですよね……。
そんなときは、相手に見返りを求めずに、相手に与えることができる自分を褒めてやることです。
そんな心の余裕がある自分に感謝ができれば、与えてくれない相手に心を乱されることなく、良好な関係を築くことができるはずです。
結果として与えられる存在になる
相手からの見返りを気にせずに、与えることが楽しい自分になると、次第に自分に変化が起きてくるはずです。
まず、表情が変わるでしょう。所作や仕草などの雰囲気、言葉遣いさえ変わってくるはずです。
それは、損得なく行動できる素敵な人になってくるということです。
するとどうでしょう。自然とあなたを慕う人は増え、あなたは信頼される人になり、そして、多くの人から与えられる存在になるのです。
冒頭の「情けは人の為ならず」のように、見返りを求めずに自分のために人に与える続ける行為が、巡り巡ってあなたに返ってくるわけです。
眼の前にいる与えても返ってこない人に悩むことをやめて、遠く先の自分のために見返りを求めずに与えられる人になるのはどうでしょうか。